助六篇(1958年)

CMエピソード

いよいよ桃屋も本格的にテレビCMを始めようという機運になってきたんだが、さて何をどうやろうかと考えたんですね。
この頃は、まだビデオなんて無かったから、ドラマもすべて生だった。だからCMもスタジオで女性が商品を説明するだけの生コマがほとんどで、あとは多少、実写やアニメのフィルムCMがあるというような状況で、CMは面白くない退屈なもの、CMの時にトイレに行けっていうんで「トイレタイム」って言われていたんだ。
桃屋も、まだ番組提供とか大量のスポット投入なんてことをやれる程の余力はなかった。そこでCMを番組並に面白いものにしよう、CMを番組にしちゃえば目立つし印象にも残るだろうという妙案が浮かんだ。誰もが知っている話をパロディーにしてアニメーションでやれば、起承転結もあり、メリハリもはっきりして立派なCMドラマになるだろうと、新聞広告ののり平さんの顔をアニメ化することにしたんだ。これは今にして思うと、実に素晴らしい発想だったんだね。


のり平さんは、戦後すぐのNHKラジオの『日曜娯楽版』でスタートした人だ。この番組は三木鶏郎が中心になって、言論も自由になり、かなりきつい社会風刺を利かせたバラエティ形式で大人気だった。そしてこの頃の喜劇界の大御所は戦前からのエノケンとロッパだったんだが、この巨頭を押し分けて登場してきた、喜劇界の新星が三木のり平だった。
こののり平さんを、何の役にもなれるアニメにしたことが、永々と今まで続けてこられた大きな要因になったと思う。アニメなら老若男女は勿論、何にでもなれて、年も取らない、そしてのり平さんはあらゆるものを表現できる芸を持っていた。


始める時は、まさかここまで続くとは予想もしていなかったが、結果的にはすべてがうまくいくことになったね。
のり平アニメCMは、桃屋商品の宣伝にとどまらず、下町生まれの親しみやすい庶民の味方という桃屋の企業イメージを鮮明にした功績も大きいと思いますね。
そうゆうことで遂に完成した最初の作品が『助六篇』。助六といっても今は詳しいことを知る人は少ないね。江戸歌舞伎の宗家市川團十郎の家に伝わる歌舞伎十八番のうちの『助六由縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)』という芝居だ。その主人公の花川戸の助六が江戸一番のいい男なんだ。そして毎晩吉原一のいい女、花魁の揚巻の処へ通って来る。そこには揚巻に振られっぱなしの髭の意休という恋敵がいていろいろな騒動がおこるんだ。
その助六が締めてる鉢巻きが江戸紫だ。京紫より青みがかった紫でね、これが昔の小唄本の表紙になっていて、本の題も『江戸むらさき』なんだ。おやじが小唄にこっていた頃だったんで、新しい海苔佃煮の名前は『江戸むらさき』に決めた。そこで最初のCMは、当然『助六篇』になった。
出だしは猿飛佐助が茶漬けを食べていて、そのおいしい秘密はと、忍術で『江戸むらさき』に化けると助六が商品の説明する構成になっている。この頃のり平さんは舞台や映画でいろいろ忍術ものをやってたところからの発想らしい。助六から現代のパパ・ママ・坊やになって、また佐助に戻って終わる。今見るとのんびりしてるが、昔は60秒とCMも長かった。