開発秘話

昭和50年当時の瓶

「キムチの素」が発売されたのは1975(昭和50)年。商品開発のきっかけとなったのは、発売の前年、社長のアメリカ視察からでした。サンフランシスコやロサンゼルスのスーパーなどでキムチ漬がたくさん売られているのを社長が見た事に端を発しています。

よくよく調べてみると、朝鮮戦争で従軍した兵士達が現地でキムチ漬を食べていて、帰国後もその味が忘れられなくて、探し求めたのがきっかけだったようです。

「アメリカ人が食べるなら、日本人だって喜んで食べるはず」と閃いて、社長が帰国後に商品の試作が始まりました。味を考える際には本場・韓国に調査に行くという案も出ましたが、社長は「オリジナリティーの有る物が大事。当社独自の製法で作ろう」と指示を出しました。試行錯誤を重ねながら、最終的には白菜キムチでも大根キムチでもなく、キムチ作りのベースとなる調味料を開発する事になったのです。

1年がかりの試作でしたが、いざ発売してみると、驚くほどの反響が有りました。そもそも、キムチという名前より朝鮮漬という名前が一般的だった当時、誰もが「キムチの素」がヒット商品になるとは思っておりませんでした。ところが、「キムチの素」は発売後1年で、主力商品のひとつ「花らっきょう」の販売数を追い抜くほどの驚異的な伸びを示しました。日本人の味覚に「キムチ味」という味覚が浸透したのは「キムチの素」の発売から…と言っても過言ではないのです。

「キムチの素」が発売された当時(1975年)、白菜漬を家庭でつくる家が多く、桃屋のCMも「白菜漬にまぜるだけ」というフレーズを使っていました。

80年代に入ると、韓国から本場の白菜キムチが大量に輸入されるようになりました。ところが、桃屋の「キムチの素」は順調に売り上げを伸ばしていったのです。

そもそも「キムチの素」は、白菜が出回る時期に売り上げを伸ばした、季節商品でした。しかし、激辛、ピリ辛ブームを経ると、ご家庭でも簡単に辛い料理を食べたいというニーズが生まれてきて、「キムチの素」が注目されるようになりました。

お客様がいろいろな料理をご家庭で工夫されているうちに、年間商品に変わっていったのです。マヨネーズに加えて、野菜スティックにつける、炒めものに使うなど、調味料として広く使われるようになってきました。開発当時は考えもしなかった料理の一つに、今となっては代表的な鍋メニューとなった、「キムチ鍋」があります。

「キムチの素」は、いまやすっかり家庭の調味料になりました。