アニメーション・ディレクター 鳥居宥之

セル画がセルロイドだったころ

これは、鳥居氏の手元に残っている貴重なセル画の一枚。1978(昭和53)年の桃屋のつゆ「UFO篇」

アニメーションの製作工程は大きく分けると、原画作成、動画作成、背景画、彩色、撮影です。原画とは動きのポイントになる部分の絵で、動画は各原画と原画の間の動きを繋げる絵です。この動画をセルロイドのシートにトレースし、彩色したものがセル画でした。でした、と過去形でいうのは、現在、のり平アニメはもちろん、日本のテレビアニメではすでにセル画を使っているのは「サザエさん」のみで、いまは動画をスキャンし、画面上でデジタル彩色をしています。昭和30~40年代はセル画の素材は、その名のとおりセルロイドのシートでした。これは貴重品だったのか、フィルム撮影すると、絵の具をきれいに洗い流して再利用をしていました。何百枚もの彩色したセル画の絵の具が、あれよという間に水に流れていきました。当時のセルロイドのシートは、厚みがあって、そのうえ洗って再利用をしていたので、何枚か重ねると、透明のはずの部分が薄っすら色付きになるなんてこともありました。

そのうちにセル画の素材は塩化ビニルになりました。これは、これは洗わずに消費していましたね。のり平アニメの最後のセル画は、たしか1998(平成10)年の「カライ盗ルパン篇」までだったと思います。あれが最後となるのだったら、セル画を取っておけばよかったですね。いま考えると、惜しいことをしました。

※本インタビューは、2004年3月16日に収録したものです。