演出・企画 飯田茂

のり一さんの録音初日、スタジオにやってきたのは…

演出・企画 飯田茂

私が担当するのは今回が最後。小林のり一さんについてお話しましょう。

最初にお目にかかったのは1999年2月。三木のり平さんが急逝され、その跡を継いだのり一さんが最初に録音したときです。桃屋の小出孝之会長(現 相談役)は、いつも録音に立ち会いますが、のり平さんのときは、時間が読めないので、のり平さんがいらしてからスタジオ入りしていました。でも、その日はのり一さんの初録音とあって、会長も時間前にスタジオに来ていらっしゃいました。そこへのり一さんがほぼ定刻に現れました。すると、のり一さんは会長に

「先日はお父さんのお葬式にたくさんのご祝儀、ありがとうございました」と挨拶。

スタッフはそのひと言で、のり一さんの「しゃれ」の世界を肌で感じ、ホッとしました。まだのり平さんが亡くなってからほんの2週間ほどしか経っていませんでした。

会長はのり一さんを子どものころから知っているので、「のりちゃん」と呼びながら、江戸っ子のべらんめい調でのり一さんにプレッシャーをかけます。私はそのやり取りを聞いていました。そうこうするうちにのり一さんがアナウンスブースに入り初CM「大根の運命篇」の録音がはじまりました。

「あ~、声の大きさはこんなもんですかね」と、のり一さんが一声発した瞬間、一同驚きました。それまでおしゃべりしていたときには感じなかったのに、マイクの声はまさにのり平さんの声でした。CMの台本はのり平さんが録音するはずのものでした。のり平さんがスタジオの隅にいるんじゃないかと、ちょっと怖くなった瞬間でした。

※本インタビューは、2004年3月16日に収録したものです。