俳優 小林のり一

小林のり一さんの正式デビューは、玉川学園高等部在学中に出演したNHKドラマ「男は度胸」(1970年)です。役は床屋の丁稚。三木のり平氏が親方役で出演していました。また、同級生で同じ演劇部に所属していた志垣太郎は八代将軍吉宗(浜畑賢吉)のご落胤、天一坊を演じました。

志ん生の最後の弟子?「小のり」

小林のり一

中学生のころの僕は母親に似て可愛かったんですね。だからってわけじゃないだろうけど、寄席に通っているうちに、楽屋に入れてもらえるようになって、芸人さんたちに可愛がられましてね。

お囃子の太鼓なんかやらせてもらって、ほめられたりして。で、その気になって浴衣を着て本来ならいちばん下の前座さんがやる高座返し(演者が終わると座布団を裏返し、演者の名前を書いてある「めくり」を変える)をするようになりました。そんな年の夏、忘れもしない「人形町末広」でのこと。前座さんがふたり出て、次が二つ目のK蔵さんのはずが、前座のふたり目は志ん駒さん(落語協会元理事)の噺がサゲ近くなっても一向に楽屋入りする気配がない。そんな時僕が浴衣を着ていたもんだから「小のりちゃんつないでよ」なんて言われて、おっかなびっくり高座に上がってうろ覚えの「あくび指南」を一席。えらくウケましたね。

「噺おせえてやろうか」と僕に言った人は、落語が羽織を着ているといわれたあの古今亭志ん生!日暮里の師匠の家に噺の稽古に通いました。あの志ん生が僕ひとりのために一席やってくれて、時々うな丼なんかもご馳走になって、そりゃ大感動ですよ。だけど同じ噺でもそのたんびに八っつぁんが熊さんになったり、横丁の隠居だったのが大家さんになったりする。で「師匠、あの名前が・・・」って言うと、「名前なんてなんだっていいんだよ」(笑)。師匠の最後の高座が1968(昭和43)年、ぼくが教わったのはその3~4年前だから、「僕が志ん生最後の弟子だ」って勝手に思いこんでるんですけどね(笑)。

※本インタビューは、2004年3月16日に収録したものです。