俳優 小林のり一

劇場を託児所代わりにして育ったというのり一さんに、まずは小学生のころまでのお話をうかがいました。

卓袱台の前の父から逃げ出し、舞台の上の父を追いかける

小林のり一

幼いころは、父はとにかく映画、テレビ、舞台と売れまくってましたから、家にはほんどいませんでした。まあ、たまに天気の都合かなんかで、ロケが中止になったときに家にいることもありましたけど、昼間はだいたい機嫌が悪くて、ちょっと近寄りがたい感じで…え?甘えたりしたこと?とんでもない(笑)。そのころの写真で一家団らん風のやつがいくつか残ってますけど、みんな『明星』とか『平凡』とかの「スターの休日」みたいな取材のやらせでね。母なんて家事が大嫌いでほとんどやらなかったし。

だけど、父の楽屋に届けもの(楽屋着とかバスタオル)があるときなんかは、母に連れられてタクシーで劇場に行って、僕はそのまま客席へ置いておかれた。とにかく、のり一は芝居を見せておけば、おとなしくしてるってことで同じ芝居を何度も見ましたね。ただ、父の芝居は子どもが見てもわかりやすいし、面白くて、そのたびに違うことをするから、何度見ても飽きませんでしたね。「雲の上団五郎」なんて20回ぐらい観たから、いまだに幕開きからフィナーレまで全部覚えてる。舞台に出てくるときの父は、それは面白かった。エノケンさん(榎本健一)とかコーちゃん(越路吹雪)、有島さん(有島一郎)なんかとのコンビで「三木のり平をやっている」父の大ファンでしたね。

幼稚園から小学校に行くころは、アメリカの漫画映画、ディズニーの「白雪姫」、フライシャーの「ベティちゃん」とか「バグスバニーとダフィ」、チャック・ジョーンズの「コヨーテとロードランナー」、テックス・アヴェリーの「ドルーピー」とか(もう止まらないよ言い出したら)ディズニーの「ドナルド」や「チップとデール」なんかが大好きで夢中で見てました。もっともC.ジョーンズとかT.アヴェリーなんて作家の名前を知ったのは中学生になってから、森卓也さんの「アニメーション入門」という本を見てからですけどね。

小学生のころはああいうギャグがいっぱいで動きが面白いカトゥーンの作家になりたいと思って、家の8mmの失敗したフィルムをひっかいて色や模様をつけてアニメーションのようなものを作って映してみたりして遊んでました。だけど、まさか自分がこうしてアニメの声をやることになるなんて、なんだか不思議なご縁ですね。

※本インタビューは、2004年3月16日に収録したものです。